corsappoi blog

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いつもコメントを残してくれるnasubiさんが、自身のブログエントリーした記事の中に過去の関連記事へのリンクがあった。ボクはたまたまそのリンク先の記事を読んでいなかったのだけれども、なかなかに興味深いというか、身につまされる内容だったのでTBしてみる。
記事によると、nasubiさんは2002年の暮れからロードバイクの世界に足を踏み入れ、すでに自転車雑誌には飽きてしまったらしい。もはやネットの情報で十分なのだそうだ。いやいくら飽きたとはいっても、それはちょっと早すぎる気もするなぁ……と、しばし腕組みしてはみたものの、これも時代の流れなのだろう。
もしかするとものすごく飲み込みの早い人なのかも知れないし、もしくは単に飽きっぽい性格なのかも知れないんだけれど(失礼)、理由はどうあれ、nasubiさんに対して自転車総合誌がその程度のモチベーションしか与えられなかったというのは事実だ。
nasubiさんのいうところの三大誌に含まれるAとかいう出版社のBとかいう媒体にいた立場から、べつに擁護するつもりはないんだけれども、ちょっと事情を説明させてもらいたい。そもそも総合誌というのは飽きられるものなのだ。それが宿命でもあると言ってもいい。なぜなら、総合誌は一人の読者のためのものではない。まだ自転車すら手に入れていない初心者もいれば、ほんの1%程度の必要な情報のために読むようなベテラン読者もいる。しかもロードもマウンテンもツーリングもBMXもフォローしないといけない。限られたページ数をそれら各ジャンルに割り振り、なおかつ雑誌を読むことで知識を増やし進歩していく読者に常に歩調を合わせ、すべての読者から満足を得るなんていうのは、所詮ムリな話なのだ。
たしかにネットが現れる以前であれば、それでもよかった。何せ情報はそれ以外にないのだから。だからとっくに卒業していてもおかしくないようなレベルの読者であれ、消極的なモチベーションながらも雑誌を買ってくれていた。でも時代は変わった。もはやネットは出版界にとって侮れない存在であることが明白になり、どの出版社も変革を余儀なくされた。
自転車雑誌をもつ出版社であれば、こういう選択肢もあっただろう。つまり、ロードもマウンテンもツーリングもBMXも……という横割りではなく、ロードならロード、マウンテンならマウンテンと、縦割り軸に方向転換するというやり方だ。アウトドアブームに端を発する自転車ブームのお陰で、スポーツとして自転車をとらえる人の全体的なパイも拡がったことだし、それぞれのジャンルを独立させて雑誌を作ったって採算がとれたはずだ。でも、それだと今度は編集者の自転車に対する思い入れや知識量が求められてくる。しかもそういう専門領域に特化した編集者を揃え、さらにコントロール(マネジメント)するのも大変なことである。ボクみたいなのが編集部にゴロゴロいる状況を考えれば、その大変さは容易に察しがつく。でも、ボクらはそう変わるべきだと主張した。今思えば「青かった」としか言いようがないんだけれど。
結局、Aのようなクラスマガジンといわれる雑誌で生業を立てる出版社は、ムックの乱発という道を選んだ。それがいいか悪いかは別問題としても、出版社として生き残る道を必死に模索した結果なのだろうとボクは解釈する(ちょっと持ち上げすぎたか…)。

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かく言うボクはどうなのかというと、べつに威張れたものではない。何せ、はじめてネットに接続したのは遥か昔。編集部でこっそりと電話線を外し、68KのPowerBookの内蔵14.4kbpsモデムに繋げ、「ピーーーヒャーーラララ」というアナロジカルな接続音を確認しては感動していた次第だ。そんなお粗末な状況が世の中の標準だったからこそ、ボクは安易にネットの将来性なんて信じるわけにはいかなかった。
これでもボクは本好きなので(あたりまえか)、もちろん未来学者アルビン・トフラーの著書『第三の波』だって読んでいた。人類が農耕社会、産業社会を経て、そして今まさに新しい文明である情報化社会に到達しつつあることは認識していた。トフラーは『第三の波』のなかで、かなり具体的な未来図を示している。
「第三の波の文明は、少数のマス・メディアによって文化を支配するのをやめ、相互作用を持った非マス化(脱画一化)メディアに依存することになりそうである。それは、きわめて多様で、しばしば非常に個人的なイメージを社会の精神の流れに注ぎ入れたり、汲み取ったりするに違いない」
まさしく2005年のボクの目の前にある状況そのものなのだけれど、当時のボクはトフラーの提唱する未来と現実とを結びつけられずにいた。むしろ「だからといって紙がなくなるということではない。今後も紙は残り続けるだろう。紙は携帯性に優れ、気軽に文字を書き込むこともできる。そして何よりも、破り捨てることができるのだ」という同氏の言葉の方に説得力を感じてしまった一人だ。
「デジタル時代のニュージャーナリズム」と銘打った雑誌『WIRED』も創刊号から欠かさずに読んでいた。サンフランシスコの小さな出版社から発行され、デジタル時代の到来とともに全世界に広まっていったという歴史的な雑誌である。先のトフラーが描いた未来図に対して、その状況証拠をかき集めるといった趣旨に基づき(たぶん)、「今まさに、我々の環境、政府、家庭、教育、仕事、それらの関係性が劇的に変わろうとしている」なんてことを盛んにアピールした。そして事あるごとに、「今だ! 乗り遅れるな!」とさんざん不安感を煽ってくれた。ボクはその雑誌を前にして、「でもそういうお前は相変わらずの紙媒体じゃん」と切って捨てた。でも、否定しつつも読み続けた。ボクは信じようとする前に、信じないで済むためのロジックを探していたのだけれど、一方では彼らが掲げる未来図についても気になって仕方がなかったのだ。
ボクらライターや編集者は、本来的には情報を伝えるのが仕事なわけだから、べつに何が何でも紙に固執する必要はない。でも、何となくネットの将来よりも紙の生き残る道を模索したいという気持ちの方が強い。言葉は悪いが「腐れ縁」みたいなものだ。だからボクは紙媒体の仕事をベースに据え、あくまでも実験的な試みとして今年の年初からブログをはじめてみた。じつに『第三の波』から20年、『WIRED』から10年、ずいぶんと時間がかかった。そして自身もブロガーとなった今になって、ようやくネットの可能性、将来性に対して信じるに足るだけの確証を得られた。しかも遅れて入ってきた分、自分がやるべきであろう残された領域が目について仕方がないという状況なのだ。
ボクが他の仕事を置いたままにして取り組んでいるビギナー向けの新サイトの話は、今までにも何度かお知らせしてきた。果たしてそれがnasubiさんたちのような紙媒体を卒業した人たちをも満足させられるものになるかどうかはわからないけれども、今までに誰も試みたことがない画期的なシステムを考案中である。オープンまで、もうしばらくお待ちを。
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2005.05.30 23:35 | about kuro | trackback(0) | comment(4) |
※若干だけどネタバレ注意!(スカパーウォッチャーさんへ)

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今日でジロ・ディ・イタリアも終わる。
だからどうしたということでもない。そもそもジロの最中であるにもかかわらず、ジロ関連のネタなんて一つもエントリーしていないボクだ。それにスカパーだって見ていない。というか、スカパーには入っていない。なぜなら、仮にボクがスカパー環境なんてものを手に入れてしまった日には、間違いなくスカパー廃人になることは目に見えているからだ。以前、某国営放送がBSでツール・ド・フランスを放送していた頃に見事BS廃人になったという過去をもつボクとしては、二度と同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。
今のボクはネットにある情報をチェックする程度だ。ちょっと時間に余裕があるときは、gazzetta.itあたりでゴールシーンをストリーミング再生したり。あくまでものめり込みすぎないように、ほどほどの距離をキープしながら楽しんでいる。喩えるなら、檻の外の安全な場所からライオンを見ているような感じだ。もちろん檻の中に入った方が間違いなくスリリングだし、白熱して楽しむこともできよう。ただ、食われるという危険性も孕んでいる。おそらくボクが檻の中に入った場合、片脚をムシャムシャ食われながらも「いやー、すごいね。これがコルサなんだよねー」なんて嬉しそうに感動してるんだろうな。それじゃあまるで自転車界のムツゴロウさんだ。そうはなりたくない。
そんなボクではあるけれども、さすがに昨日のステージだけはスカパーで見たいと思った。なんと終盤の上りで突如激しいダートが出現するのだ。ファウスト・コッピの時代じゃあるまいし、ありえなさすぎる! どうせなら誰か洒落っ気のある選手がスペアチューブをたすき掛けでもして走ってくれると最高にウケるんだけどなぁ……しかもウールジャージで。なんて勝手な想像をめぐらせてワクワクしているわけだ。ちなみにこちらで、実際のコースを試走したリポートが掲載されている。ありえない。ま、ありえないという点では同じPezCyclingNewsにあったこちらのソフィア・ローレン系シニョリーナちゃんも、また別の意味でありえない。存在自体がありえない。
さて、そんなふうに静観を装いつつも、じつは激しく応援しているチームというのは存在する。もちろんyottanがマッサーとして所属するFASSA BORTOLOである。ボクも自転車ジャーナリストではあるのだから、どこぞのチームに肩入れするというのもいかがなものかとは思いつつも、べつに今はレースリポートで食っているわけではないのでよかろうと。そんな言い訳で誤魔化してみたい。
そのファッサにとって、そしてエーススプリンターであるペタッキにとって、今年のジロは厳しかったようだ。まず、コースレイアウトが奇抜だった。先に書いた上りのダートも、そのことを示す象徴といえるだろう。平坦な区間であっても、いつもの年とはどこか違っていた。それに何よりも出場選手のレベルがとても高かった。そんな理由が重なって、残念ながら今年のジロはペタッキの独壇場とはならなかった。でも、それがレースだ。

で、このジロの最中のクソ忙しい中、またしてもyottanに画像クレクレ攻撃してみた。まったく面倒な要求ばかりする先輩でスマンな。
yottan.itの方でもアップされていたものなのだが、今回も一筋縄ではいかないチョイスである。どこがコルサなのかと。いや、これがコルサなのである。いかにもコルサの裏方ならではの目線、雰囲気、これが堪らない。細かく見ていくならば、まずは左下のタオルに注目。コルサはタオルまでお揃いの青。ファッサのアズッロなのだ。さらに重度なマニアになると、洗濯紐を支えている鋤みたいなの、あれがコルサに思えてくる。えっ、思えてきたって? 困ったものだ。そういう奇特なマニアさんのために、今回もデスクトップ画像用に加工してみた。サイズは1024×768dpiのみで申し訳ないのだけれど、これ以上のサイズになるとアップロードの上限を超えてしまうので。一応今回も再配布は禁止、個人使用限定でお願いしたい。
2005.05.29 23:15 | corsappoi | trackback(0) | comment(3) |
前回の「TOJに行ったリポート」は、さすがにダラダラ感が否めない。いくら個人的なブログとはいえ、お見苦しいかぎりだなぁと反省。ああやって際限なく書きたいことを書きたいだけ書きまくるような癖がついてしまうと、今後の仕事にも悪影響を及ぼしかねない気がするので、すくなくとも今日のところは簡潔にいこうと決めた。

今日ボクがフィーチャーしたいのは、ずばり「サイトー」だ。そう、TOJ東京ステージの会場でボクを前にコメツキバッタと化していたデカイ男の話である。
彼は図体がデカイわりには気が小さい、声が小さい。歩幅は狭いし、そのうえ内股で歩きやがる。ズボラなわりにはどうでもいいような小さいことにこだわる。そのくせ、こだわるべきところにはこだわらない。こっちはやることを山ほど抱えながらも必死な形相で原稿を書いているというのに、その様子を夢見心地な表情でボーッと眺めていたりする。サイトーはそういう男だ。
エディタースクールに通いながら将来を夢見る学生アルバイターにとっては酷な現実だったかもしれないけれど、編集部というのはまさに鉄火場である。そのことをいつまで経っても理解しないサイトーは、常に、ボクに怒鳴られていた。

1回目 「サイトー、ちょっと……」
2回目 「サイトーーーー!」
3回目 「サーーイーーートーーー!」
4回目 「てめぇ、サイトー!」
5回目 「てめぇ、この野郎!!」
6回目 「ちょっと来いぃぃっっ!!」

という具合に10段活用までいくわけだ。終いには、ボクがなかなか原稿が進まないことに苛立って、あくまでも個人的に「チッ!」とか舌打ちするのにまで過敏に反応し、ガバッと椅子から立ち上がって「はいっ!」なんて答えたりする。サイトーはそういう男だ。
締め切りを目前にして疲れが溜まりすぎ、怒鳴る気力さえ起こらなくなるようなこともある。サイトーはそういう微妙な変化を察知する繊細さも持っている。優しいのだ。たしかに優しいのだけれど、でも、だからどうした。彼はニヤついた顔でのそーっと現れて、「あはっ、今日はどうしちゃったんですかー?」と来る。ボクからすれば挑発としか取れないような発言だ。自分の怒鳴られる頻度をボクの健康のバロメーターのようにとらえているのか、こいつは……と。そう考えると、無理を押してでも怒鳴ってやりたくなるというものである。サイトーはそういう男だ。
そんなサイトーだが、百回に一回ぐらいは役に立って褒められたりもする。でも褒められたとたんに気が緩み、想像を絶するような、ありえないレベルのヘマを仕出かす。それが、サイトーなのだ。

そんなサイトーとおよそ9年ぶりに再開したわけだが、彼は今、大手総合商社資本の某IT企業のプロデューサー職にあるらしい。すごいね。でも、だからどうした。ボクの目の前で萎縮し、コメツキバッタのようにヘコヘコするサイトーは、相変わらず昔のサイトーのままだった。ボクはそれを見て、ちょっと安心した。「うん、サイトーはそれでいいんだよ」と思った。
後日、メールのやりとりでこのブログのURLを教えたのだけれど、喜びのあまり舞い上がったサイトーは案の定、不用意なコメントを残しやがった。ボクは「サイトーらしいな」と思いながら、自らのブログのコメント欄でドカーンと雷を落としてやった。そのあと届いた何通ものお詫びメールもサイトーらしかった。彼の希望で一連のコメントはすでに削除してしまったのだけれど、たぶん見た人は引いただろうな(申し訳ない)。でも、じつはボクは怒るどころか、むしろ嬉しかったのだ。
サイトーはそういう男なんだから。
2005.05.26 20:18 | my favorite | trackback(0) | comment(2) |
※二つ前のエントリー「TOJに行ったリポート(前半)」からお読みください

ギュウギュウ詰めのバスに揺られて、やっと品川駅に到着した。ワイフに電話をしたのだけれど、息子は水族館に大喜びという状況で、しばらくは出られそうもないとのこと。仕方なくボクは一人、ウィング高輪の1階にあるコーヒーショップで待つことにした。ラテを飲みながら窓の外をボーッと眺めていると、コニカミノルタのシャツを着たコルサな一行が目の前を通りすぎる。それを見てハッと気づいた。すぐ近くに選手の泊まるホテルがあったのだ。と同時に、東京ステージで絶対に会いたかった誰かにまだ会っていないという事実を思い出した。シマノ・メモリーコープ阿部ちゃんだ。すぐに残りのラテを飲み干して席を立った。
小雨の振るなか、品川駅の高輪口から真っ直ぐに上っていく坂を急ぐ。そこでちょっとした出来事があった。向こうからバルロワールドの一行が下ってきたのだ。全部で7、8人いたのだけれど、それぞれがボクとすれ違うたびに、まずは手首の黄色い輪っかをチェック。そこで自転車関係者であることを確認し、次に胸のワッペンを見てギョッとする。最後に「誰だ、こいつ」という目でボクの顔を見るのだ。見事なまでに、目の動きが一致している。さすがはプロ(?)。
彼ら全員とすれ違ってから、背後で騒ぐ声が聞こえてきた。彼らにとってはかなりのサプライズだったのか、おそらく「何でファッサのヤツがこんなところに」という疑問をぶつけ合っている様子だ。しばらくして、好奇心を抑えきれなかったらしいバルロの選手がこちらに走ってくる気配を背中に感じた。さて、何と答えてやるかな。「チャーオ、じつはボクがファッサのナッカーノである」っていうのもアリだな。もしくは「いや、TOJが見たくて日本に来たんだよ。やっぱジロどころじゃないでしょ?」というのも悪くない。とにかく、レース会場ではノーリアクションだったこのポロシャツが、こんな高輪の石榴坂(ざくろざか)なんて地味な場所で、しかも本場ヨーロッパのコルサな連中に受けるとは、なんとも楽しい。ワクワクするぜ……。
やっぱり来た。ドキドキ。肩を叩かれて振り向いたボクに、彼はあろうことかいきなりイタリア語でまくし立てた。ダメじゃん……。イギリスのチームだから英語で来るに違いないと思い込んでいたボクのドリーム・プランは、呆気なく崩壊した。「いや申し訳ない、これはファッサのマッサーのナッカーノからもらっただけで」としどろもどろに伝えると、彼はうんうんと頷きながら、「なんだつまんねぇな」という顔をして戻っていった。しょぼーん。

ほどなくしてホテルに着く。選手がいるであろう場所まで迷うことなく到達するスキルは衰えていなかった。嗅覚なのか? だとしたら、それはマッサージオイルなのか、それとも自転車のチェーンオイルなのか。よくわからん。ともかくロビーの一角に陣取る大会事務局まで行き、係の人にボクの名前を告げて、電話で呼び出してもらう。
「あ、阿部ちゃん? 元気? 今ロビーなんだ」
「ええーっ! お久しぶりです。今すぐ降ります」
ロビーの椅子に座って、ボクは阿部ちゃんを待つことにした。
ここで、「阿部ちゃん阿部ちゃんて、誰やねん?」という方のために、ちょっと解説しておくことにする。今ではベテランとして陰の黒子に徹している観もあるけれど、それはそれはすごい選手なのだ。1996年にシマノからパナリアに移りプロに転向。97年には所属するパナリアがマペイGBと合併したことで、マペイGBのチーム員となる。その年は全日本選手権で優勝、ポーランド一周でステージ優勝、ジャパンカップではチームメイトのアンドレア・タフィのアシストを受けながら優勝という快挙を成し遂げた。2000年にはシドニー五輪に出場し、翌年はコルパックで活躍した。まさしく実力でヨーロッパを渡り歩いてきた男といってもいいだろう。
5分ほどで阿部ちゃんは現れた。シマノ・メモリーコープのブルーのボタンダウンシャツ、黒いズボン、アフターレース用のシマノ製の黒いシューズというコルサないでたち。体操ジャージにサンダルをペタペタと響かせながら「チィーーッスゥ!」ではないところが阿部ちゃんらしい(今どきそんなヤツの方が珍しいか)。本当に久しぶりだったから何だかちょっと恥ずかしかったけれど、まずはガシッと握手。その瞬間、最後に彼と会ったときのことを鮮明に思い出した。
ちょうど10年前の今頃のことだ。当時シマノの海外組として、阿部ちゃんはヨーロッパを拠点に活動していた。主要なレースがあるたびに一時帰国して、終わり次第またヨーロッパへ戻るというハードスケジュールをこなしていた。その年の4月に行われたアジア選手権で優勝。5月の国際ロード(現TOJ)では凱旋帰国を果たしたついでとばかりに、修善寺ステージで当時のスイスNo.1、2の実力をもつカメンツィン、グィドッティらを大きく引き離して優勝、その桁外れな実力を見せつけてくれた。
ボクは次号のカバーをぜひ阿部ちゃんに飾ってもらいたいと思い、過密スケジュールを調整してもらった。どうにかして都合をつけたという撮影日は、ふたたびヨーロッパへと旅立つ当日のことだった。撮影日当日もほとんど時間がなかったので、彼が泊まる成田のホテルの敷地内でパパッと済ませたのだけれど、なんとか無事に目的を果たせた。ほんの短い時間、彼は自分がヨーロッパで目指すものについて語ってくれた。そして最後に、ボクらは握手をして別れた。それからの彼の活躍は先に書いたとおりだ。
挨拶を済ませたボクらは、ラウンジに移って何か飲みながら話すことにした。しかし10年というのは長い。生まれたての赤ん坊が小学校五年生になってしまうほどの時間である。簡単には語り尽くせないほどの出来事がお互いにあった。けれど、彼のロードレースに対するストイックな思いが変わっていないことは確認できた。控えめで、内に秘める熱い思いを伝えるのが苦手な彼だけれど、「何かしたいんだ」という気持ちはとても強い。それがわかっただけでも十分だった。ボクは彼に一つの提案をし、彼も「喜んで」と快諾してくれた。その提案とは、いずれそのうち。
そろそろ閉会のレセプションがはじまるという時間になって、ようやく妻子が到着した。ボクはふたたび阿部ちゃんと握手をして別れた。阿部ちゃんが去ったあと、しばらく家族三人でゆったりとお茶を飲みながら、息子から水族館のみやげ話を聞いていた。

今、ボクの仕事場のデスクには、件の阿部ちゃんがカバーを飾ったときの号が置いてある。5月の新緑をバックに、目の覚めるようなブルーを基調としたシマノのジャージがよく映える。視線の先に、何かとてつもなく大きいものを予感させるような、アグレッシブでスピード感溢れるいい写真だ。
ふたたび、TOJで再会した三人のベテラン選手を思い出す。橋川選手、三船選手、そして阿部選手。この10年は、単に彼らに歳をとらせ、脚を衰えさせるための時間ではなかった。それぞれ目は輝いていたし、とてもいい顔をしていた。その豊富な経験を武器に、もっともっとレース界に波乱を起こしてほしいな……と、そんな期待を抱かずにはいられないボクなのだ。
2005.05.25 17:48 | corsappoi | trackback(0) | comment(2) |
※一つ前のエントリー「TOJに行ったリポート(前半)」からお読みください

しかしだ、今日のボクはやたらと大会のスタッフに間違われる。すくなくとも五回以上は背後から声を掛けられている。そんなに場慣れした雰囲気でもあるのかな……なんて思いながらスタッフを見てみると、なるほど、みんなボクと同じ紺色のポロシャツを着ているわけだ。じつはボクのブログを見ている人向けに、非常にわかりやすいと思われるアイコンを装備して、この日に臨んだ。まずは黄色い輪っか。そして、FASSA BORTOLOのスタッフ用である紺色のポロシャツ。胸にはしっかりと「Gruppo Sportivo FASSA BORTOLO」と刺繍されたワッペンが付いている。その結果が、これである。ちなみに誰からも声を掛けてもらえなかった。唯一気がついてくれたのは吉本君だけである。ま、こんなもんかな。怖い顔してるしさ、気がついても声なんか掛けてもらえないんだよ……と、自分に言い聞かせてみたり。

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表彰式に向かうための集団移動がはじまった。ボクらも流れに乗って、ゾロゾロと移動する。途中、やたらとデカイのがいるなぁと思ったら、某誌でボクが副編集長をしていた時代にデッチーとして採用したサイトーだった。以前からそうなのだが、彼はボクを目の前にすると萎縮して身長が30cmは低くなる。今回は家族も一緒の様子だったので、ほどほどにして切り上げることにした。名刺を渡し、「またな。連絡しろよ」と言うと、コメツキバッタのようにヘコヘコしながら帰っていった。
さらに数歩進むと、今度は中野にある自転車店Piacere YAMAの山本氏に会った。彼は、ボクが雑誌のライターをはじめる以前に勤めていた老舗のディストリビューターで上司の立場にあった人物だ。恥ずかしいぐらいにコテコテの輪界人であり、自転車大好き、ロードレース大好きの楽しいオッサンである。恥ずかしいぐらいに輪界的なオッサン会話を繰り広げつつ、一緒に表彰式に向かった。会話の一部を小耳にはさんでしまった方がいたとしたら、ぜひとも誤解しないでいただきたい。アレはあくまでもオッサンに合わせていただけであって、間違ってもボクの本来の姿ではない。
そんな紆余曲折を経て、やっと表彰式の会場となる広場にたどり着いた。適当に場所を決めてふと後ろを振り返ると、木の陰にひっそりと佇む男がいる。一昨年までFASSA BORTOLOのメカニコを務めていた永井君だった。つまりyottanの元同僚である。現在は自由が丘でPositivoというオシャレな自転車店を経営している。じつは、ボクはまだラバネロで働きながら実業団レースを走っていた頃の彼しか知らない。もちろんyottanを介してお互いの状況はある程度は伝わっていたのだけれども、それは今までの空白を埋めるほどのものではない。表彰式を横目に、ボクらの話は尽きなかった。
セレモニーも終盤となり、総合優勝者であるバルロワールドのカルデナス選手へのインタビューがはじまった。コロンビア人の選手にイタリア語でインタビューすべく、今中氏が壇上に上がった。怪しい……。白いワイシャツに黒いズボン、ミョーに日焼けした肌、茶髪、巧みな話術。ボクは素直に感じたままを永井君に伝えた。「あのさ、ほら、あのツール・ド・フランスに出たあの人さ、年を追うごとにパワーアップしてる感じがしない?」と。それを聞いた永井君は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。発言したあとで思い出したのだけれど、永井君の立場では肯定なんてできるはずもない。今中氏は彼にとって同郷の偉大なる大先輩なのだ。ちゃんと先輩を立てるあたりは、さすが体育会だなぁなんて感心してみたり。しかし右に吉本君、左に永井君という極上のポジションを得ながら、いったいどれほど高尚な話をしていたのかというと、そんな程度のことだ。一応、彼らの名誉のために付け加えておくが、そんな程度の話を盛んに振っていたのは、一方的にボクの方である。
名残惜しいけれど、TOJは終わった。お開きの時間だ。ボクは妻子の待つ品プリの水族館に行くため、バス乗り場に並んだ。クルマで来た吉本君が「どこまで帰るんですか?」なんて誘ってくれたけれど、助手席にギャルが乗っているのを見て断った。吉本君て、本当にいいやつなんだな。ボクが逆の立場だったら、間違いなく無視してかっ飛んで行くと思うよ。というか、彼を鍛えた菊地ちゃんが偉大なのかもしれないけれど。

と、ここまで書いたところで、まだ書ききれないということに気づいた。自分の計画性のなさにただ呆れるばかりなんだけれども、じつはまだ終わったわけではない(たしかにレースは終わったけれど)。というわけで、次回「TOJに行ったリポート(おまけ)」に続く。
2005.05.24 10:39 | corsappoi | trackback(0) | comment(0) |
TOJ(ツアー・オブ・ジャパン)の東京ステージを家族で見に行った。息子がどうしてもというので、ボクも仕事をあきらめて出掛けることにしたのだ。
以下、あくまでもボク目線でのリポートなんだけれど、書き出したらもう止まらなくなってしまった。だから、前半と後半に分けることにした。ちなみに、雑誌で書いていた頃のようなレースリポートとはまったくの別モノなので、あまり期待しないでいただきたい。

電車を乗り継ぎ、品川駅で下車。京急デパートで用意周到にお弁当を買い込み、バスに揺られて11時半すぎに大井埠頭に到着。まだまだレースは中盤に入ったばかりという段階で、何人かの選手が逃げている状況だ。逃げの集団にはキナン橋川選手も含まれていると知り、ちょっと嬉しくなった。ベテラン選手の活躍は、ボクらの世代にとってこのうえない励みになる。頑張れ、橋川選手!
12時ちょうどに息子が「お腹がすいて死にそうだ」と騒ぎ出すので、仕方なくお弁当を食べることに。みなとが丘埠頭公園のステージ奥のベンチに腰掛け、激しく反響しまくる今中氏の実況をBGMに、優雅にランチをいただく。息子はまるでフランス貴族のように、一時間近くかけてランチを食べ終えると、今度は「もっと奥の方まで探検しよう!」と来た。昔は毎日のようにシクロクロスで攻めていたほどの勝手知ったる場所なので、息子を案内しながらも懐かしさがこみ上げてきたり。
息子はレース中であることなんかもうとっくに忘れて、やれテントウ虫がどーのとか、お次は団子虫がどーしたとか、付き合ってたらきりがない。
「もういい加減にパパは行くぞ。レース終わっちゃうもん!」と宣言してコースに戻ろうとすると、今度は「おしっこ」と来た。激混みのトイレに連れて行き、やれやれやっとレースが見られると思ったら、今度はワイフが「私もトイレ行くね」と来る。まったく何しに来たんだか……。
オーロラビジョンを臨む格好の観戦ポイントで、サイスポの吉本君を発見。彼と会うのは二年ぶりぐらいなので、それなりにいろいろと話が弾んだ。ピナレロのフルカーボンの試乗車(出来立てホヤホヤ)を持っていたので、ちょっと貸してみぃと取り上げ、飽きたので返した。もうちょっとコースを歩いてみたかったボクは、とりあえず吉本君と別れて北部陸橋方面に向かった。と、しばらくしてワイフが「ねぇ、まだ終わんないの? 帰りに水族館に寄るって言ってたけど、早くしないと終わっちゃうよ」と言い出す。完全に息子と結託している模様。ああもういいよ、と。行きなよ、と。ボクはシャトルバス乗り場まで二人を連れて行って、「ささ、乗った乗った。楽しんできなー」と手を振った。ふうっ、これでもう誰にも邪魔されずにレースを楽しめる。
すっかり身軽になったボクは、ふたたびコースに沿って歩き出した。ほどなく、リタイアしたばかりの橋川選手が自転車に跨って、ゆっくりと走ってきた。まだ苦しそうな表情だ。「やあ、久しぶり」「お元気でしたか」なんて月並みな挨拶を交わしてから、「どうした? さっきまで盛んに逃げてたのに」と尋ねた。「いや、じつは熱がひどくて……」と。ボクは絶句した。橋川らしいとも思った。熱があるにもかかわらずレースに出てしまうのも相変わらずだけど、さらにリーダージャージ擁するバルロワールドが掌握し停滞したままのレースに活気を与えようと逃げを打つ。そういう心意気に久しぶりにふれて、ボクはすぐに言葉を返すことができなかった。「連絡するよ。また会おう」とだけ伝え、まだ湯気の立ち上る背中をポンポンと叩いて別れた。
いよいよレースはゴールのときを迎えようとしていた。橋川選手と入れ替わるようにして、ラバネロの飯島選手、そしてミヤタの三船選手らが先頭集団に加わった。またしてもベテラン勢が活躍している。オーロラビジョンの近くで吉本君と再会。一緒にレースの行方を見届けることにした。
ファイナルラップ、ゴールまであと僅かという時点で、逃げていた先頭集団はついに飲み込まれた。どうなるのか……ハラハラドキドキしながらそのときを待つ。優勝はオーストラリアのサンダーソン選手。さすがオーストラリア、かのマキュエンの国である。続いてカペックのバザイエフ選手ときて、三位にはBSの宮澤選手、四位には、何と先ほどまで逃げていた三船選手が入った。後方集団に吸収された時点で、すでに脚は売り切れてしまったものと思っていたから、これには驚かされた。
ゴールした勢いのまま、三船選手がボクらのいる方に走ってきた。ふらふらしながら目の前を通りすぎる。一仕事終えたベテランの貫禄を見せる彼は、ボクのよく知っている「トホホの三船」ではなかった。四位という成績は彼にとっては不本意だったのかもしれないけれど、それでもヒーローだ。だから、久しぶりに会う彼ではあったけれど、野暮な挨拶はしたくなかった。「お疲れさん!」と小声でつぶやきながら、背中を叩いただけ。あんなので、果たして気がついたかね……。
とにかく、ベテラン選手たちが頑張っていたのは、ボクにとって本当に嬉しいことだった。橋川選手も三船選手も、とても頼もしい、いい顔をしていた。かっこよかった。いいレースを見させてもらったよ。
2005.05.23 08:46 | corsappoi | trackback(0) | comment(0) |
アクセスは結構あるにもかかわらず、相変わらずコメントがつかないという寂しい状況が続いている。なんて思っていたら、非公開コメントをいくつか頂戴していた。非公開コメントは管理ページからしか確認できないために気づかずにいたのだけれど、それらはすべて5月13日のエントリーで、ゲイがどーのとか身の危険がどーしたとか書いたことに対するものだった。残念なことに返信アドレスも書かれていないので、ここでまとめて返事をしようと思う。
2005.05.20 17:28 | journal | trackback(0) | comment(0) |
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このところ、ボクはまるで研究者のように仕事部屋に篭りっきりだ。あまり没頭しすぎるのもいかがなものかと内心では思っている。本当は気分転換に散歩程度はした方がいいのだろうけれど、そんな時間はない。もったいない。だから、せめて音楽(いわゆるBGM)ぐらいは欠かさないようにしている。
ボクの聴き方は、「今日はUK SOULだ!」とか「今日はMOTOWNでしっとりと」とか、その日の気分でジャンルを決めて10枚ほどCDをピックアップし、デスクの上にドサッと積み上げては片っ端から聴いていくというスタイルだ。じつは節操のないことに、ボクはバロック以前のルネッサンスからラップまで何でも好んで聴くという雑食なので、こういうやり方で聴き倒していくのが最も適しているらしい。
「やっぱロックだぜ! ロック命! ロック最高!」みたいな、頭のてっぺんからつま先までロックな人生に憧れないこともないけれど、むしろ雑食的にさまざまな音楽を楽しめる自分の方が幸せだと思う。ただ、何でも受け入れる雑食だからといって、それはこだわりがないということではない。それに、特別な思い入れを抱かずにはいられないアーティストだって存在する。まず、バロックならばバッハだ。これはボクにとって「命」に近い存在かもしれない。ロマン派の時代ではブラームスが最高。とくに鬱に効くらしいから、それっぽい傾向にある人にはお勧めだ。ロマン派の次はいきなり現代に飛んで、ビートルズ、ジョン・レノン、スティーヴィー・ワンダー、ジギーの頃からのデイヴィド・ボウイ、ポール・ウェラー、10CC、レニー・クラヴィッツ……と、これまたきりがないのだが、こうやって名前を列挙してみると、どうもボクは型にはまらないというか、アルバムごとに作風がコロコロ変わるタイプのアーティストを好む傾向にあるようだ。
なかでもとりわけコロコロ変わる代表格がポール・ウェラーといえるだろう。ジャム、スタイル・カウンシルを経て、現在はソロとして活動中の彼だが、そもそもはパンク・ムーヴメントを追い風にモッズ路線をひた進み、それがいつしかロックとなり、スタイル・カウンシルではただのオシャレさんになり、ソロになると今度はR&Bに限りなく近いロックに出戻るという流転の約30年間(まだ終わったわけでははない)。そんな彼の音楽は、半端に聞きかじった程度の批評家たちからは常にこき下ろされきた。「ポリシーが一貫してない」だの「前作に比べて云々」だのと。けれども、ボクには彼の根底にあるスピリッツが理解できるので、誰が何と言おうと聴き続けてきた。ボクにはわかるのだ(気のせいかもしれないが)。彼の表現しようとする音楽のレベルは、おそらくものすごい高みにあって、それがゆえに、往々にしてジャンルの枠組みを超え、ファンの期待するレベルを超え、批評家たちの想像をも遥かに超えてしまうということなのだと。
「ロック」とか「ジャズ」とかいうのは、あくまでも音楽を表現するための手法にすぎない。そもそもがジャンル分けなんて、音楽に経済活動をさせるために後付けしたものでしかないのだ。肝心なのは表現そのものであって、手法ではないはずだ。だから、あるときはパンク系ロック、あるときは正当派のロック、そしてあるときはアシッド・ジャズ、で、何が悪いのか? むしろファンのご機嫌を伺いながら、ファンの期待する程度の範疇に自らの表現を留めておくことの方が不自然ではないのか?

じつは、今日はポール・ウェラーの日(その第1弾)だった。本当は仕事に没頭するべきなのに、そんなどうしようもないことを延々と考えさせられながら、1977年のジャム「In The City」から聴きはじめて、1984年の「Our Favorite Shop」まで来た。そこまで来て、ボクは重大なことに気づいた。「これじゃあ仕事にならん!」という事実だ。まったく余計なことばかり考えてしまうだけでなく、ついつい聴き入りすぎて疲れてしまうのだ。残念だけど、君はBGM向きではないんだなポール君……。
「手を抜く方が疲れる」とは、かのキムタクの「名言」として広く知られるところである。キムタクがそう言ったところで、安易にリスペクトできてしまうようなメンタリティは持ち合せていないけれど、ポール・ウェラーあたりが言ったとなれば話は別だ。素直に「なるほどね」と頷けるだろう。
聴いてもらえるはずだった残りのCDを片付けながら、ボクはあらためてポール・ウェラーの偉大さを確認していた。
2005.05.18 09:56 | my favorite | trackback(1) | comment(4) |
あれからも仕事の合間を見つけては、ちょこちょことアクセス解析を続けているのだけれど、またしても面白い発見があった。GoogleはGoogleでも、どうにも見慣れない言語(svenska)を使う国からのアクセスがあったのだ。およそ今まで目にしたこともないようなIPアドレス。アクセス元はGoogle-Sverige、つまりSwedenである。この北欧家具マニアを自認するボクでもすぐには気づかなかったぞぉ、憎いねスウェーデン! で、ボクはなんとなく誰かと繋がった感じが嬉しくなって、結構リアルにその相手方の場景をイメージしてみることにした。
とりあえずは寒いんだろうな、スウェーデンだし。ストーブのある温かい部屋にパソコン。傍らにはぴかぴかのロードバイクが置かれていて、一年を通じてもほんの僅かしかない出番をじっと待っている。その自転車少年は、雑誌を見て大ファンになった世界屈指のスプリンター、ペタッキのことをもっと知りたくて、Googleの検索窓に「fassa bortolo」と打ち込んだ。
いや待てよ、ペタッキ好きはペタッキ好きでも、抜けるように肌の白い金髪少女かも知れないな。それにもしかしたらペタッキではなくて、むしろカンチェッラーラがお目当てだったりして。そう考えると、場合によってはクラシックレースのテレビ観戦が何よりもの楽しみという中年太りのオッサンの可能性も否めないなぁ……。
そうなると急に、傍らに置かれていたはずの自転車の存在は怪しくなるし、暖かい部屋のパソコンも見当違いのような気がしてくる。そもそも寒い時期かどうかさえ疑わしいではないか。そこで、余計な詮索はやめることにした。すくなくとも、顔も性別も年齢も何も知らない遠い異国の誰かが、細い細い電話線を経由してボクのブログにアクセスしてきたというだけで、それはもう十分にすごいことなんだから。
ところでその正体不明のスウェーデン人は、漢字とひらがなと淫語の並ぶボクのブログにアクセスして、はたして満足いく結果を得られたのだろうか。
2005.05.15 20:35 | blog | trackback(0) | comment(0) |
再開して間もない当ブログだが、またしてもCSSをいじくり倒してデザイン変更した(見ればわかるけど)。「またか……」と辟易とされる方も多いかもしれないが、今回ばかりは弁解させてもらいたい。これはいつものような「乗れていないときにかぎって自転車をいじくりたがる」という現実逃避型のものではなくて、例の新サイト絡みである。このブログもコンテンツの一つとして組み込む予定なので、先行してデザイン変更したというわけだ。ちょっとはメジャーな雰囲気を感じてもらえるかな……なんて卑しいことを考えつつデザインてみたのだが、どうだろう?

メジャーといえば、一昨日アクセス解析をしていた時の話。このサイトへ検索エンジンを使って飛んでくる人が結構多いことに気づいた。そのほとんどがGoogle。キーワードとしては、「fassa」とか「fassa bortolo」というあたりで引っ掛かかる確率が高いようだ。FASSAでマッサーをしている中野(通称yottan)の話題を採りあげることも多いし、実際にコメントをつけてくれたりもするので、Googleでヒットしてもおかしくはない。しかしそれにしても、Googleからのアクセスが異常に多いのだ。ちょっと気になったボクは、ためしに自分でも検索をかけてみることにした。で、キーワードに「fassa bortolo」と打ち込んで出てきたのが下の画像のような結果。

050511.jpg

なんとワールドワイド検索であるにもかかわらず、本家本元のGruppo Sportivoの次。17万6000件中である。ちなみに「fassa」だけだと120万件中10番目。いずれもトップページに表示される。普通だったら「いやー、ずいぶんとメジャーになったもんだなぁ」なんて有頂天になって喜ぶべきものなんだろうけれど、ボクは焦った。どのエントリーがヒットしてしまうのか、それが大問題なのだ。急いでリンク先を開いてみると、ボクが恐れていたとおりの結果が目の前にあった(こちらのエントリー)。
「男尻がどーの」とか「変態さんがどーした」とか「ハァハァ」とか「興奮する」とか……。これをウェブ・トランスレーションした結果を見たワールドワイドな人たちは、はたしてどう受け取るだろうか。日本のローディたちをどう解釈するだろうか。
ボクの想像し得る最悪なパターンは、「日本のローディはみんな男尻マニアの変態なゲイばっかり」なんていう噂がワールドワイドに広まってしまうことだ。さらに、それを聞きつけたワールドワイドなゲイたちが大挙来日し、登戸茶屋あたりでニヤニヤしながら待ち構えてたりしたらどうしよう……なんて、PCのモニターを見ながらガクブルってしまうボクなのだ。ワールドワイドな人たちの誤解を避けるためにも、というか日本中のローディたちの身の危険を考慮して、今のうちに英語版のcorsappoi blogを作っておいた方がいいのだろうか(余計に誤解を招いたりして)。

2005.05.13 10:53 | blog | trackback(0) | comment(6) |
このブログからもリンクされているpower's cycle diaryさんの執筆陣の一人であるyaezoさんの記事で、ちょっと新鮮かつ素敵な提案があったので、ここで紹介してみたい。


多摩湖で会いましょう  by yaezo

わたしは東京のハジッコにある多摩湖・狭山湖の近くに住んでいます。この多摩湖にはグルリと自転車道が完備されており、サイクリストにとってはなかなか良い環境だと言えます。ちなみに狭山湖の方にはダートがあり、MTB乗りにとってはこれまた嬉しい環境です。休日ともなれば、ロード、MTB、クロスバイク、ランドナー、ミニベロ・・・さまざまな自転車で賑わい(?)ます。
そんな多摩湖の自転車道で、わたしが密かに広めようとしていること・・・それは、サイクリストとすれ違うときに"挨拶する"ことです。

普段、歩いていても車に乗っていても、すれ違う他人とは挨拶をしません。でも"自転車に乗っている"という共通点だけで、わたしたちサイクリストは挨拶をすることが可能なのです。挨拶すると言っても、すれ違うときにただコクッと頭を下げるだけなのですが、それでも相手が挨拶を返してくれたり、ニコッとしてくれたりするのは素晴らしく気持ちが良いものです。


続きはこちら

この記事を読んだボクはその場の勢いですぐさまコメントをつけたのだが、よくよく考えてみればボクもブロガーだったなぁなんて思い出し、あらためてTBして記事を書くことにした。ここのところ、そういうブロガーらしい行為から遠ざかっていたためか、ついうっかりTBという機能の存在そのものを忘れていた。というわけで、あらためて。

yaezoさんのプロフィールから窺い知るに、彼女は本格的に自転車に乗るようになってまだ1年ということなので、おそらくは一昔前までは当たり前のようにサイクリストが挨拶していたなんて事実を知る由もないのだろう。いったいボクたちサイクリストは、いつから挨拶をしなくなってしまったのか。
ボクがロードレーサーに乗りはじめた頃は、まだランドナーが全盛だった。彼らはどんなシチュエーションであっても、すれ違ったときには必ずこちらの存在を確認しては、サッと手を上げて挨拶する。はじめは一瞬のことでもあり、「ん、誰だ? 知らないなぁ……」なんて気がつかないふりをしていたのだけれど、次から次へとすれ違うサイクリストの誰しもが手を上げてくるので「ははぁ、これは自転車に乗る人のお約束ごとなのだな」と理解できた。その暗黙のルールに気づいてからというもの、調子に乗って手を上げまくったのは言うまでもない。何しろ楽しいのだ。yaezoさんの言葉を借りるなら、「素晴らしく気持が良い」。まさにそのとおり。
そんな素晴らしい暗黙のルールが通用しなくなったのも、おそらくはロードとマウンテンとの対立軸が出来上がってしまったことに端を発しているような気がする。それまではロードもマウンテンもランドナーもBMXも、スポーツとしてバイクを楽しむ仲間として互いに認め合い、共存してきたはずだった。「全部合わせたって大した数にはならないんだから、仲良くしとこうぜ」ということだったのだと思う。そんないい感じのムードが、マウンテンバイクブームの到来とともに崩れはじめた。「俺はロード、お前はマウンテン。走るフィールドも違えば生きる世界も違う。同じバイクという括りで一緒にしないでほしい」というような対立関係がいつしか生まれ、その溝は深まる一方だった。
原因を一つに絞ることは難しいけれど、それは自転車業界による過剰なまでのユーザーの引っ張り合いが自転車雑誌に波及し、果てはユーザーにまで浸透してしまったということなのかもしれない。もしくは雑誌編集者やライターこそが張本人である可能性も否定できない。特定のジャンルのスペシャリストであることを求められた編集者やライターのなかに、自分の専門外のジャンルを目の敵にすることで共感を得るような幼稚な手法をとる輩がいたのも事実だ。と、まるで他人事のように書いているボクではあるけれども、当時そういう一連の流れのど真ん中に身を置いていたわけだから、その責任の一端はあると思っている。本当はボクもずっと前からyaezoさんのような提言をしたかったのだけれど、悪しき習慣を作ってしまった時代を知る者としての後ろめたさみたいなものが邪魔をする。だからこそボクは、yaezoさんの提案に即座に反応したのだろう。過去にとらわれずにニュートラルな感情を表現できる新しい世代の登場を待っていたのだと思う。もちろん、それは他人任せにしようということではない。ボクも久しぶりに、自分から右手を上げて挨拶してみるつもりだ。

ちなみにyaezoさん、コクッと頭を下げるだけだと、「ギャップでもあったのかな?」なんて思われてスルーされる可能性もあるので、やはり右手を上げたほうが確実かと思うんですが……。それと、べつに多摩湖に限定しなくてもいいですよね。
2005.05.10 16:49 | journal | trackback(0) | comment(4) |
久しぶりに更新したはいいが、なかなか元のペースで快調に飛ばすというのが難しい状況にある。とにかく忙しい。前回の記事でもちょこっと触れたけれど、ボクは現在ロードのビギナー向けウェブサイトをオープンさせようと四苦八苦している最中。何がそんなに大変かというと、マークアップ言語を覚えるのが一苦労なのだ。最初はブログのCSSカスタマイズに毛の生えた程度のものだろうと高を括っていたのだが、いざ作業をはじめてみると、HTMLに続いてCSS、お次はperl、さらにはjava scriptとキリがない。つまり、英語とスペイン語とイタリア語とフランス語をいっぺんに覚えさせられるようなものである。冗談ではない。英語だってままならないというのに。仕方がないので頑張れるところまでは頑張って、仕上げはこのブログにもたびたびコメントを残してくれるルネに頼むことにした。ルネは自転車のほうはイマイチなのだけれど、ウェブコンテンツの制作については本職である。プロである。こういうときに大学の同窓という関係は役立つものだなぁ……などと感心しつつ、すべてのファイルを丸ごとZIPにしてまとめ、メールに添付して送りつけるわけだ。しばらくすると修正したファイルが返されてくる。いや本当にありがたい。この恩は忘れないからさ。だからまた頼むぞルネ、いやルネ先生。
と、そんな他力本願でお恥ずかしいかぎりではあるけれど、どうにかウェブサイトの箱の部分は形になろうとしている。しかしそれはあくまでも箱にすぎない。どんなに見栄えのする箱であっても、その中に入るものの価値がなければ意味がない。ましてや箱の中が空っぽなんて、話にすらならない。ということで、とりあえず箱の仕上げはルネに頼んだものとして、こちらはこちらで一息つく間もなく、箱の中身作りに精を出すわけだ。価値があると思ってもらえるものを目指して。
それこそGW中の祝日だろうが土日だろうが、夜だ昼だお構いなしに、最低限の睡眠時間でただひたすらにコンテンツを考え、テキストを打ち込みまくる。久しぶりに二の腕が腱鞘炎っぽくなってズキズキするし、目も疲れた。眼圧が高くなっているようで、瞼の上から眼球を押さえると痛いぐらいだ。でも、こういうことは勢いに乗じて一気に作り上げないと、結局はいつまでもだらだらと引っ張るだけで形にならないものだ。
頂上はもうすぐそこ……のような気がずっとしているのだけれど、いつになったらたどり着けるのだろうか。それ以前に、果たしてそれは本当に目指しているところの頂上なのだろうか。


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2005.05.09 16:34 | journal | trackback(0) | comment(0) |
気がつけばすでに5月。「今日こそは何が何でも更新しなきゃ」と思い続けて、早や二ヵ月半になる。前回の記事をエントリーした時期は、まだ最高気温も10℃に満たなかった気がする。それが今では20℃を越えるのが当たり前になった。ボクの住むマンションのすぐ前の敷地にはアオギリの大木がそびえ立っているだけれど、その若葉が日に日に面積を拡げていくのを見るたびに、自分の不甲斐なさに落ち込む。
あの出来事以来ずっと記事を更新しなかったことで、大勢のオーディエンスの気を揉ませ、そして心配させてしまった。
「あくまでもこのエントリーの記事はボク自身のためだけに書くつもりだ」と断っておいたにもかかわらず、励ましのコメントをつけてくれた人もいた。本当はいただいたコメントの一つ一つにレスしたいのだけれど、どうやらあのエントリーそのものがボクにとって強烈なトラウマになっているようで、書きたくても書けないのだ。申し訳ない。
非公開の形式でコメントをくれた人や、直接メールを送ってくれる人も多かった。あえて何も言わずに、ボクが自然と回復するのを静かに見守っていてくれた人もいるだろう。形として目に見えるものは存在しなくても、気持ちは十分に伝わっている。だから、この場を借りて一言。
皆さん、ご心配をかけてすみませんでした。そして、ありがとう。

今回の一件で、ボクはライフログとしてブログを書いていくことの残酷な一面を見た気がした。あれから何度も更新しようと試みて、PCのモニターに向き合ってはみた。でも、それらしいことを書いてはみても、なぜかエントリーするという段になって躊躇いが生じてしまう。あきらめて一旦削除しては、また書き直すということの繰り返しだった。
気づかれた方がいたかどうかは定かではないが、CSSに手を加えてブログのデザインを二度ほど変えた。「見た目の雰囲気を変えれば、ちょっとはいい気分ですらすらと書けるのではないか」などと甘い期待を抱きつつ。しかし結果はご承知のとおりだ。自分の情けなさに辟易としながらも、これはまさしく「乗れていない」ときにかぎって、意味もなく自転車をいじりたがるダメな人の行動そのものだなぁ……なんて考えて、まるで他人事のように苦笑いしたこともあった。
でもそれはあくまでもこのブログでの話である。もうずいぶんと前から、ボクはいつもの日常を取り戻していた。心優しい友人が、半ば強引に土俵に引き上げるような格好で「急ぎの仕事」とやらを与えてくれたお陰なのかもしれない。今は紙媒体での仕事に加え、メインユーザーをロードバイクのビギナーに絞ったウェブサイトを立ち上げるために、DreamweaverMXと格闘中というところだ。
花見の時期には息子のバイオリンの先生の123さんも誘って、みんなで野川公園に遊びに行った。友人と会ってくだらない話で盛り上がったり、飲み会やパーティなんかにも出掛けている。PCも新調した(自作だけど)。今度のはPen4の3MHzのCPU、メモリは1GBだから、ストレスなんてものの存在すら感じることはない。快適だ。結構アクティブに自転車にだって乗っている。ホイールも組み替えたしバーテープも巻き直した。スネ毛も剃ったしサドルも3mm上げた。ベルナールを失った寂しさは事あるごとに感じるけれども、公私ともに以前のような充実した日々を過ごしている。でも、ブログだけはダメなのだ。
アルファビル(例のボクが所属するチーム)では、あるメンバーが自サバを使ってチーム員専用のBBSを運営しているのだが、そこで以前と変わらぬ俺様モードで書きたいこと書きまくるボクに対して、「いいんですか? そろそろ再開しなくて」なんてたしなめる声も出てきた。ゴールデンウィーク前にサイスポの菊地ちゃんと会って朝まで話し合ったときも、「kuroさんのブログ、結構業界の人も見てますよ」なんて、暗にプレッシャーらしきものをかけられたりもした。追い詰められていることを感じながらも、「いいさ、そのうちまた書けるようになるときが来るんだろうから」なんて開き直るしかなかった。
そんなある日、オランダの友人から電話が入った。チーム・アートネイチャーで走っていた荻島美香だった。美香はエキップ・アズミノの結成メンバーの一人だった元オランダ・ナショナルチームのSjaakと結婚し、それを機にオランダに移り住んだ。今では名前もMika vd Loop(ミカ・ファンデループ)となり、二児の母親でもある。彼女とは、ボクが某誌でやっていたロードバイク・インプレッションのレギュラーメンバーとして参加してもらって以来、ずっと付き合いが続いている。お互いの近況報告にはじまり、それぞれの子供の成長について、そして昔話を延々と。途中、シマノ・メモリーコープの山本選手から美香の別回線に電話が入って中断したものの、ボクらは約1時間ほど話をした。
で、わざわざ国際回線で電話してきた用件は何だったのかというと、ブログのことだった。あのどん底な出来事以来、一向に浮上する気配を見せないボクを心配して電話したのだという。美香のPCでは、ボクのブログを閲覧することはできても、日本語入力はできないので、コメントをつけたくてもつけられないということだった。
ボクはブログというものは記事をエントリーするブロガーと、それに反応してコメントをつけるオーディエンスとの双方向からのやりとりによって成立するコミュニティのようなものだと思っていた。もちろん、その背後には「閲覧するだけ」の人が多数存在することもわかっている。でもそれは、何か発言しようと思えばできるのだけれど、さしあたって語るほどのこともないということだと理解していた。しかしオーディエンスの中には、美香のように物理的に言葉を発することが不可能な環境にある人もいるのだ。そういう人たちからすると、ボクの行動はどう見えたのだろうか……。
そんなさまざまな経験をして、葛藤を繰り返した。自分なりに落ち込んだり、反省したり、または開き直ったり。でも、「たかがブログ」ではあるけれども、生半可な気持ちでとらえるべきではないということは、しっかりと心に刻んだ。
2005.05.05 10:00 | blog | trackback(0) | comment(4) |
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