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corsappoi blog

目が覚めて外を見ると、薄曇りの様子。
昨夜、東京自転車生活さん多摩サイ日記を見たおかげで、走りたい願望がピークに達していた。空を見上げてしばし迷ったものの、やはり敢行することに。
nasubiさん的に言うならば「なりきりファッサ」、しかもボンディングとサーモドレスによるコルサっぽい完全装備で多摩川へ出発した。
と、走り出して気づいたのだけれど、いつもと何かが違う。明らかに違う。あ、今日は天気が天気だから、いつもと違ってイエローレンズのサングラスしてるからかな? とかいろいろと考えて、多摩川に着いたあたりで気がついた。ほんのりと、春の陽気なのだ。空気が、匂いが違う。そのことに気づいたとたん、もう脳みそまで春の陽気になった気分。いつもよりペダリングも軽やかに、あっという間に是政橋に着く。冬場は多摩サイのみと決めているのだけれど、絶好調な陽気にスピニング全開で気をよくしたボクは、そのまま左折して稲城に向った。
稲城はボクにとって、さまざまな思い出が詰まった場所だ。大学時代に稲城の近くに住んでいたこともあり、買ったばかりのフルカンパ仕様のPIAGGIO Bianchiを駆って一帯を走り回っていた。当時まだ未開拓だった稲城は、ロードレーサーにとって天国といっても過言ではなかった。街道のダンプが落としていく砂利が路肩に溜まり、そのせいでコケたりすることも多かった。でも、それも楽しいうちだった。純粋に、心底自転車に乗ることを楽しんでいた時代。もうかれこれ20年以上も前の話だ。
そのうちアルファビルというチームができた。日曜日の午前中に大井埠頭に集まって10周するのが基本なのだけれど、やがて本気でレースに取り組むメンバーも増えてきた。そこでボクは平日の練習にお勧めのコースとして、連中を稲城に連れて行ったのだ。みんな稲城に通いはじめ、ハマった。そしてボクも知らなかったような名所を次々と見つけてきては、勝手にネーミングするようになった。たとえば「稲城のロンバルディ」。周囲の景色や荒れた路面なんかが、いつかミロワール誌で見たロンバルディそのものだったことに由来する。今でもその道路は存在するものの、がけ崩れだかなんだかで通行できなくなってしまった。あとは「ロータスの壁」。ご存知ベルギーのレース、リエージュ~バストーニュツール・デ・フランドルの名所「コッペンベルクの壁」をもじったようなネーミングだけど、稲城に何箇所かある壁のような激坂のなかでも、最も勾配がきつくて長い直線の坂だ。で、その坂の途中にロータス・ヨーロッパがいつも停まっていたからというのが由来らしい。いずれにしろ、安易で子供っぽい印象は否めないのだが……。そんなふうに、ボクらは愛着をもって稲城に通っていた時期がある。
楽しい時間はあっという間にすぎる。1990年に日本で自転車世界選手権大会が開催された。そのお祭り気分の余韻が冷めるのと同調するかのように、ボクにもアルファビルの連中にも変化が訪れた。
ボクは自転車雑誌の編集者になった。土日はもっぱらレース取材。自分の担当するリポートやインプレの取材で走ることはあっても、それは仕事のためだ。いつしかボクは仕事のためだけに走るようになっていた。
中野(yottan)はサーティワン・ジャイアントに移ってしばらく走ったけれど、早々に選手としての自分の力量に見切りをつけて引退。小守スポーツマッサージを経てイタリアへ渡った。ビアンキ好きが高じて、自由が丘にLa Galleria Bianchiなるイタ飯屋を開いたヤツもいる。上野にあるY系列の自転車店ASAZOの現店長も、ボクらの仲間の一人だ。それ以外は業界的な公人ではないのでここでは控えることにするけど、みんなそれぞれに自分の人生を見つけ、歩んでいる。
あの頃は楽しかったな……と、久しぶりに稲城に向う途中、ボクはそんな様々なことに思い巡らし、ノスタルジックな感傷に浸りながらペダルを回していた。

で、肝心の走りはどうだったのかというと、いやそれはもう久しぶりですから。いきなりの激しいアップダウンにヒーヒー言わされ、ボクの体内は春の陽気を通り越して初夏に近かったような。
あくまでもイメージしていたのは、jinxさんみたいな走りの実現だったのだけれど……。

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2005.02.09 20:05 | corsappoi | trackback(1) | comment(6) |