corsappoi blog

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あまりにも突然に、悲しい別れが訪れた。我が家の愛犬ベルナールが死んでしまった。この世に生を受けてわずか1年と7カ月という早すぎる死だった。こんなにも悲しい気持ちのままブログに書くべきかどうか悩んだのだけれども、起こったことを詳細に記し、やりきれない気持ちをありのままに綴ることで、すこしは悲しみも癒えるような気がするのだ。こんなボクの独善に付き合えるという人はどうか読んでいただきたい。ダークな気分になりなくないとか、この手の話がつらいという人は遠慮なく読み飛ばしてほしい。あくまでもこのエントリーの記事はボク自身のためだけに書くつもりだ。そのことをあらかじめご了承いただきたい。

18日のこと、ワイフは幼稚園で息子をピックアップしてから吉祥寺に買い物に行くと言って家を出た。ボクは外で打ち合わせするような予定もないので自宅で原稿書き。4時頃になって、ちょうど筆が止まってしまったこともあり、気分転換にベルナールを散歩に連れて行くことにした。いつもと変わらぬコースを、いつもと同じように一時間ちょっとかけて、のんびりと歩いた。いつもと違うことといえば、天気が今ひとつだったために少々寒く感じられたぐらいか。
家に帰り、ベルナールの脚をきれいにしてやってからリビングにあるケージに入れた。ボクはもう一度玄関に戻って、汚れた床やリードを雑巾で拭いてきれいにして、ついでにトイレで用を足した。水洗トイレの水がタンクに溜まり、徐々に静かになっていくと同時に、聞き慣れない音が遠くの方から聞こえてきた。「カタカタカタカタカタカタカタカタ……」と、小刻みに震えるような規則的な音。嫌な予感がして、急いでリビングに向かう途中で「キャイーン!」という苦しそうな叫び声が聞こえた。家の中では絶対に吠えないベルナールが、喉の奥から絞り出すような声で必死に助けを求めているのがわかった。リビングのドアを開けたボクの目に飛び込んできたのは、口から真っ白い泡を吹き、背中を弓なりに反り返らせて痙攣するベルナールの姿だった。
「ベル! どうしたっ!」と叫びながら駆け寄り、ケージからベルナールを両手で抱えて取り出す。と同時に、全身の力が一気に抜けて「だらーん」となってしまった。すべての関節が外れたかのような状態で、舌は垂れ下がり、瞳孔も開いている。口の泡を取り除いて気道を確保し、蘇生を試みる。何度も、何度も、何度も繰り返した。必死だった。「ベル! 戻ってこい! ベル!」と、肺に空気を送り込みながら何度も叫んだ。ボクの言うことなら、どんなことでも従うはずのベルナールなのに……戻ってこない。
時間にして30分ほど格闘しただろうか、無我夢中だったので正確にはわからない。でも、「ありがとうパパ、もういいよ。ボクはもう行くよ」というベルナールの声が聞こえた気がして、ボクも闘うのをやめた。そしてまだ温かい身体をギュッと抱きしめ、「助けられなくてゴメンな」と何度も謝った。ベルナールの発作がはじまってからボクが来るまで、いったいどれくらいの時間が経っていたのだろう。誰もいない部屋で、心臓が止まるのを必死に堪え、ひたすらにボクが助けに来るのを待っていたベルナールを考えると、もう涙が止まらなかった。苦しくて、つらくて、何よりも不安だったに違いない。だからボクが両手で抱きかかえ、ボクの手のひらに包まれたことがわかって、彼はきっと安心したのだろう。命を繋いでいた線がプツッと切れて、そのまま逝ってしまったのだと思った。
ボクは買い物中のワイフに電話をかけ、ベルナールが死んだことを伝えた。ワイフは状況が飲み込めずに「なんで、なんで……」と繰り返すばかりだった。「とにかく急いで帰ってこい。まだ温かいうちに抱いてやれ」と言って電話を切った。買い物を中断し、吉祥寺の東急の前からタクシーを飛ばして帰宅したワイフと息子は、ぐったりとしたベルナールの姿を見るやパニックに陥った。ワイフは狂ったように泣き喚き、自分の身体をボカボカと叩いた。息子は、ボクですら今まで聞いたことのないような声をあげて泣いた。「ベルー! ベルー!」と名前を呼び、泣き崩れるワイフと息子に、ボクはそれまでの一部始終を説明し、親子三人でベルナールを囲んで延々と泣き続けた。

ベルナールはボクの家族の一員だ。ボクの家族は「チーム」という共通認識があるから、ベルナールもそのチーム員として誰もが認めていた。チームリーダーはボク、エースは息子だ。リーダーたるボクが采配をふるい、エースたる息子の活躍のために一丸となる。そのことをベルナールもよく理解していた。たとえば散歩しているとき、ベルナールは常に息子の動きに目を光らせていて、息子がちょっとでも先に行ったり車道にはみ出してたりすると、リードを強く引っ張ってボクに知らせた。一緒に山登りをすればかならず息子の横にピタッと並び、自分は危険な崖側を歩いて息子をガードする。完璧なアシストだった。
息子も息子で、ベルナールの献身的なアシストぶりを理解していたから、とても可愛がっていた。とくに一人っ子の息子にとってベルナールは弟のような存在であり、血のつながった兄弟のように仲が良かった。粗相をしてボクに厳しく叱られるベルナールをかばうのは、いつもきまって息子だった。「ベルもわかったと思うから、もう許してあげてよパパ」なんてセリフを何十回、いや何百回聞いたことか。ボクに隠れてこっそりとジャーキーを与えたりもしていた。気づかないフリをしていたけれど、じつはちゃんと知っていたんだ。でも、彼らが兄弟のように仲良くしてくれるのはボクにとっても最高に嬉しかったから、見て見ぬフリをしていた。
ワイフはボクから見ると間違いなくアシストだと思うんだけど、本人はディレットーレのつもりらしい。でも、餌やりもトイレの掃除もちゃんとやるような、現場寄りのディレットーレのようだ。家族の中で一番甘やかしてくれるのはワイフだったから、三人で一斉に「おいで!」と声をかけると、大概はワイフのところへ走っていった。ワイフは「生後一ヶ月でママと引き離されたんだから、その分、私が甘やかしてあげないと」と言っては、ボクからすると呆れてしまうようなバカッ可愛がりをしていた。
家族の誰もが、真剣に、本気でベルナールと向き合っていた。これから先すくなくとも十年以上は、ずっとベルナールと一緒に歩んでいくつもりだった。もっともっと、一緒にいられると思っていた。だから、ベルナールの死を誰も受け入れられなかった。悔しくて、心残りで、可哀想で、涙が枯れることはなかった。
息子を寝かせてから、ボクとワイフは夜通しベルナールにまつわるさまざまなことを語り合った。なぜこんなにも早く死んでしまったのか、はたしてその短い生涯は幸せだったのか、もっとしてやれることはあったのではないか……。次第に弾力を失い、萎縮していくベルナールの身体を撫でながら、死を現実のものとして受け入れざるを得ない残酷さに幾度も泣き、泣き止んではまた語り合った。答えなど出なかった。

ボクらがベルナールに対して抱いているイメージは、ヤンチャで活発で元気で人懐っこい犬というものだ。いつも楽しそうに動き回り、尻尾を勢いよく振っては、ボクらを和ませてくれる。そういうベルナールの姿をいつまでも忘れずに、できれば鮮明に憶えていたいと思ったから、死んでしまった以上はなるべく早く火葬してしまおうと決めた。だから、今日はベルナールとの最後の夜ということになる。ボクは残された時間を惜しむように、ベルナールの背中を撫でながら添い寝した。


ここまで書いておいて申し訳ないが、今のボクにはこの続きを書く心のゆとりはない。きっと書ける時期がくると思うので、またそのときにでも。
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2005.02.19 23:25 | family | trackback(0) | comment(7) |
ボクは打ち合わせなどでほとんど毎日どこかに出掛けるのだけれど、実務的な仕事は自宅でこなしている。自宅にいても仕事中なのであって、つまりお休み(遊べる)ではないのだけれど、子供にとってはその違いがわからない。これは在宅仕事をするうえでの厄介な問題の一つだ。ボクと同じように悩んでおられる方も多いことだろう。
我が家は結構厳しく躾けているので、五歳になった息子もようやく「諦める」ということを知ったようだ。「ダメなものはダメ」である。リビングで遊んでいたりして、どうしてもパパに伝えたいことがあったのだろう「パパー!」と叫びながら廊下を走ってくる途中でハッと思い出し、無言で戻っていく気配を感じることも多々ある。そういうときは、キリのいいところまで仕事をやっつけてからリビングに行き、「どうした? 何があった?」なんて聞くようにしている。それで十分だと思っている。
しかしそんな厳然たる態度で息子と対峙する平日のボクではあるのだけれど、どうしても心動かされるアプローチというのはある。
「ねぇ、お天気もいいしさ、パパと一緒に自転車乗りたいな……」
これだ。自転車乗りであるボクにとっては堪らないアプローチ。すべてに目を瞑り、すべてを許容してやりたくなる最強の一言だ。妻子持ちでない人には理解しにくいかもしれないけれど、たとえば意中の女性に「あなたしか知りたくないの」なんて潤んだ瞳で囁かれるようなレベルとでも解釈してほしい。
ダメダメなボクはそんな甘言に心揺さぶられて、今日も平日だというのに息子と自転車を楽しんでしまった。今のところ仕事もそんなに忙しくないし、たしかにいい天気で暖かいから、まっ、いいか、と。ワイフも「今日はこれから吉祥寺にお買い物に行きたいから、ちょっとだけ面倒見ててあげて」なんて言う。いつもならば「ちゃんと面倒見ろよ!」と食ってかかるのだが、ボクもすでに自転車モードである。「うんうん、行っといで」なんてニコニコ顔で答えるのだ。
お昼過ぎには仕事の区切りをつけ、ロードレーサーのタイヤに空気を入れて出発。今回のプチ・ツーリングのテーマは「玉川上水を少しでも遠くまで走る」だ。前回、はじめて一般道を走った際にも、玉川上水沿いにかなり進んで行ったのだが、今回はそれを上回る距離にチャレンジしようというのだ。
玉川上水は三鷹駅を横切るように流れている。今日はその三鷹駅南口を起点に走りはじめた。前方確認、一時停止、キープレフトと怠ることもなく、一般道走行の基本はすでにマスターしたようだ。二回目にしては上出来といえよう。玉川上水に沿ってひた進み、ほどなくイノコウの西園に到着した。ボクがベンチで休んでいると「もう行こうよ。はやくデコボコ道のところに行こうよ」としつこく促される。仕方なく10分ほど休んで、再び走りだした。
息子は水を得た魚のごとく、すいすいと悪路を突き進む。段差に斜めに進入してハンドルを取られ、転倒したけれども泣かなかった。すぐに起き上がって何事もなかったかのように走りだす。どうやら楽しくて仕方ないらしい。道の両側から木が張り出しているようなところでも、左右に5cmずつのスペースを残してクリアすべく、ちゃんとラインをトレースしている。そういった難所をクリアしたあとでは必ず後ろを振り返り、ボクがちゃんとついて来れているか確認する余裕まで見せてくれる。
ずいぶんと走り、三鷹市と杉並区の境となる牟礼橋まで来た。今日はもうここまで。ちょうどワイフから携帯に電話が入る。吉祥寺で買い物が済んだから、これからこちらに来て合流するのだという。イノコウの西園で待ち合わせをした。早速「牟礼橋まで来た記念」の写真を撮り、引き返すことに。
西園に着いてしばらくベンチで休んでいると、ワイフが楽しそうに手を振りながらやってきた。何やらいろいろと買い込んだものを抱えている。
「はい。バレンタインのプレゼント」と言って、ボクと息子にそれぞれマフラーとチョコをくれた。いやマフラーについては何か編んでいるらしいことは察知していたけれど、バレンタインデー用だとは気づかなかった。吉祥寺に買い物というのも、パルコの横にある例のベルギーのチョコ屋に行くためだとは思わなかった。ボクも世間一般的な職場における2月14日のウキウキのようなものとは距離を置いて久しいので、てっきり2月14日は「パンターニ命日」としてのみインプットしていたのだ。
こんな状況を予想だにしなかったボクは、あまりにも嬉しかったので舞い上がり、ついつい調子づいてワイフに聞いた。
「愛してるのか」と。
ワイフは「うん」と答えた。なんだそうかそうだったのかぁ、いやそれは知らなかったよとーさん参ったなーもーペシペシと。たまにはこういう日があってもいいのかもしれない。

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2005.02.14 23:29 | family | trackback(0) | comment(6) |
土曜日なのにワイフは用事があるというので、息子と二人で過すことになった。天気もいいのでちょっと遠出でもと考えたが、寒いので無難に近場のイノコウ(井の頭恩賜公園)へ行くことに。
ただ、今日はいつもの「イノコウ行き」とは勝手が違う。ベルナールを連れてお散歩とか、フラッカーズの幼児載せで二人乗りして行くとか、そういういつものお気楽極楽なノリではない。五歳の息子にとってはじめてとなる自転車での一般道走行なのだ。
昨年の12月に補助輪ナシにチャレンジして、わずか一時間で乗りこなしていた我が息子(そのときの親バカチックな話はまた別の機会にでも)。その後も幾度となく公園で練習し、今ではクイックターンも軽くこなし、教えてもいないのに立ちこぎしたり、後ろを振り返りながら走ったり、三メートルぐらいの高さの山のてっぺんから凄まじい勢いで下り降りたりできるほどにまで上達した。ボクは「もうそろそろいいかな」とかねてから思っていたのだけれど、ワイフは「何を言ってるの? こんなまだチビっちゃくて可愛いウチの坊やに道路を走らせるなんて……」と甲高い声で異を唱える。これだから母親はダメだ。
タイトルは忘れてしまったのだけれど、ある育児書にこう書いてあった。「子供は冒険することで成長する。その冒険に立ち会わなければならないのが父親だ」と。なるほどと思った。母親だとついつい甘やかしてしまって、冒険そのものをさせてやれないということなのだろう。で、いつかワイフがいないときにでも敢行してやれと、ひそかにその機会をうかがっていたわけだ。
息子は緊張気味だ。「まだボクは小さいからさ。道路を走るにはまだちょっと早いんじゃない?」などと及び腰な甘言をほざくも、強引に揉み消していざ出発。ボクは息子の気分を盛り上げるためにロードレーサー(Time HELIX)で後ろから行くことにした。
息子はすごい慎重派である。まるで自動車教習所並に、安全確認を怠ることがない。優先道路を走っていても、交差点では必ず左右を確認。うむ、それぐらいでよろしい。
かなり広い通りに出る手前、路面に大きい字で「止まれ」と書かれている。息子はすばやくその字を発見すると「止まれ」の「れ」の字のあたりでキュッとブレーキをかけて止まった。ボクもまさかそこまで慎重だとは思っていなかったので、危うく追突しそうになる。
「はい、そこで右に曲がるぞ」「今度は左に曲がるぞ」と後ろから指示を出すのだけれど、どうも右折したあとは右側通行になってしまう癖があるようで、そのたびに「道路の左側だぞ。ちゃんと左の手が道路の端っこ側にくるようにな」とアドバイス。終いには「ひだりがわ……ひだりがわ……」とブツブツと呟きながら走る始末。それでもなんとか無事に、ようやくイノコウに到着した。のんびり歩いたって30分もしない距離なので、自転車ならばおそらく10分程度に過ぎなかったのだろう。でも、感覚的には30分ぐらいかかったような気がした。
自販機で温かい飲み物を買って一息つく。「ねえ、もっと公園の中を走ろうよ」と息子が提案するので、玉川上水沿いにしばらく走ることにした。ボクはロードレーサーのため、シクロクロスの要領でぬかるみや砂利道に気を遣いながら走るのだけれど、息子はブロックパターンの極太タイヤなので楽しそうだ。途中、結構なアップダウンを繰り返しながら、ついに井の頭一丁目のあたりまで来てしまった。ずいぶん遠くまで来た。ボクはてっきり疲れただろうと思っていたら、息子は「ねえパパ、こういうデコボコ道はおもしろいねえ」とニヤニヤした顔でのたまう。はたしてこれは「血」なのだろうか。
来た道を戻っている途中、ボクは息子の走る後姿を見て、凄い事実に気づいてしまった。彼はしっかりした路面での上りは立ちこぎするのだけれど、ぬかるんだ路面の上りでは腰を下ろし、後輪がスリップしないように気にしながらクリアしているのだ。かなり高度なテクニックなのに、教えなくても本能的に実践してしまうあたり、これはまさしく「血」なのだなと実感するボクだった。

イノコウからの帰りすがら、ちょっと小腹が空いたので、いつもの鯛焼き屋さんのたかねへ寄ることに。店の前まで来ると、さすがに冬場の休日らしく20人ほどが列を作っている。
「どうする? 並ぶのか?」と聞くまでもなく、息子は列の最後尾へ。この状況でなおかつどうしても食べたいという場合は、いつもなら店内に入ってしまうところなのだけど、今日はボクはロードレーサーだし、息子の自転車も鍵がついていないのでムリ。仕方なしに息子に付き合うことにした。
しばらく並んで待っていると、息子がボクのジャケットの裾をグイッと引っ張る。ボクは「何?」と訊ねる。
「ほら、コレ見てよ」と息子。そこには壊れかけのヴィヴァンダム人形が。たかねの店先に飾られたオブジェだ。息子はそのヴィヴァンダムのたすきの部分にある刻印を指差して、「これさ、パパの自転車のタイヤにも書いてあるよね」と。いやたしかに。よくそんなマニアックな部分まで観察してるよな……と感心。やはりこれも「血」なのか。


さてさてワイフは帰ってきたと思ったら、またすぐ別件とやらで出かけてしまった。今度は幼稚園の母親だけで集まって食事をする会があるとのことだった。もうほとほと疲れきっていたボクは、晩御飯をこれまた息子と二人で外に食べに行くことにした。近所をふらふらと歩いているうちにLittle Star Restarantという洒落た感じのお店を見つけたので入ることに。店長と思しきホールの人の愛想がやたらといい。ちなみにこの店長、自転車通勤しているらしいのだが、店内にフォールディングバイクが持ち込まれ、ハンドルのところにはヘルメットが下げられていた。とはいっても、べつにマニアさんではないようだ。ボクがたまたま着ていたイタリアのサイクリング・ナショナルチームのシャツとか例の黄色い腕輪に気づくこともなかったので。一方、息子は彼のヘルメットの無数に開けられたエアー・インテークを見て「パパ見てよ、いっぱいの目がこっちを見てるみたいだね。こわいね」と言いながら何度も振り返り、気にしている様子だった。
ビールを飲んで何品か頼んで、御飯セットなるものも二つ頼んで、もう二人ともお腹いっぱい。生春巻きなんかはかなり美味しかったな。で、トータル三千円でお釣りがきた。
さあ、家に着いたらお風呂沸かして寝るぞ! なんて言いながら歩いていると、息子は「寒い……寒い……」とガタガタ震えている。たしかに八時半ともなれば、そりゃ寒い。ボクは体育会的に「いいか、下っ腹にグッと力を入れてみ。寒くなくなるから」と気合で乗り越えさせようとアドバイスする。「下っ腹だぞ、下っ腹。わかるか? おへその辺りな。グッと力入れて」と、おへその辺りを手で示しながら息子に促す。しかし、息子は理解したのかしていないのか、なぜかバツの悪そうな顔をしてボクを見る。「どうした?」と再び訊ねると「エヘッ……下っ腹にグッて力入れたら、おならが出ちゃった……」と。
いや、これは「血」ではないな、たぶん。

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2005.02.05 21:39 | family | trackback(0) | comment(0) |
昨年末に亡くなった叔父の葬儀に行ってきた。
東京に珍しく雪が降り積もった12月29日。その日の晩、雪掻きをしている最中に心臓発作を起こして倒れたらしい。家人も気づかぬまま、翌朝になって雪の上で発見されたときにはすでに虫の息だったそうだ。
享年74歳といえば、べつに早すぎるということにはならないのだろう。でも、叔父は若い頃から山岳登山で鍛えていたこともあり、まだまだこれからという活気がみなぎっていた。それだけに、訃報を受けたときのショックは大きかった。
葬儀は派手さもなければ豪華でもなかった。でも、大勢の参列者が集まっていた。親類縁者をはじめ、仕事の関係者、登山仲間等々、予想以上に人が集まり、急遽、座席を何十席か増やしたほどだった。海外の企業とのやり取りを50年も続けてきたこともあり、はるばるニューヨークから弔辞を述べにきた人もいたほどだった。

叔父は尊敬できる人だった。家族を愛し、犬を愛し、山を愛し、音楽を愛し、仕事を愛していた。そして何よりも、知性にあふれる国際人だった。
ボクは高校の時分、かなり荒れまくっていた。そんなどうしようもないボクをずいぶんと心配し、気にかけてくれていたらしい。たまに会ったときにも、ボクを一人前の大人として認め、相対してくれた。心の広い人だった。
20代の頃に自転車の事故で頭を強打し、二日間も昏睡状態が続いたことがあった。結局、頭蓋骨にヒビが入った程度で事なきを得たものの、周囲からは「もう自転車は危ないからやめてくれ」と散々だった。そんなときも、叔父はにこやかな表情でボクの話を聞き「まあ、好きなんだから、しょうがないよね」とだけ答えた。ボクと同じ世界を持っている人だと思い、嬉しかった。
ボクは東京で生まれ、東京で育ち、現在も三鷹に住んでいる。世田谷に住んでいた叔父は、会うたびに必ず「近いのだし、いつでも遊びにいらっしゃい」と言ってくれた。結婚し、また息子が生まれてからは「いつでもいいから、家族みんなで遊びにいらっしゃい」と言ってくれた。毎年の年賀状にも、いつもその旨が記されていた。ボクは近いのだから、いつでも遊びに行けると思っていた。遊びに行ったら、いろいろと話をしたかった。たくさんの話を聞きたかった。叔父のことをもっともっと知りたかった。でも……不義理を重ねるばかりで、何も返すことはできなかった。
そんな様々なことを、一時間ほどの葬儀の間、ずっと考えていた。牧師の話など、まるで耳に入らなかった。

参列者全員で賛美歌を歌う段になって、あらためて、叔父がクリスチャンだったことを思い出した。ボクは今までの感謝の気持ちを伝えたくて、声のかぎりに歌った。

賛美歌461番 『主 我を愛す』

1.主 我を愛す 主は強ければ
  我 弱くとも 恐れはあらじ
  我が主イェス、我が主イェス
  我が主イェス、我を愛す

3.御国の門を 開きて我を
  招き給えり 勇みて昇らん
  我が主イェス、我が主イェス
  我が主イェス、我を愛す

歌いながら、この賛美歌がじつは「残された人」に向けられたものであることに気づいた。
勝手な解釈であろうことは重々承知しているけれど、叔父は突然の死を悔やむボクのために、クリスチャンであるボクに一番わかりやすい形で、最後のメッセージを伝えてくれたのではないか。そう思わずにはいられなかった。
叔父さん、最後までありがとう。
2005.01.15 22:33 | family | trackback(0) | comment(0) |
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