corsappoi blog

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いつもコメントを残してくれるnasubiさんが、自身のブログエントリーした記事の中に過去の関連記事へのリンクがあった。ボクはたまたまそのリンク先の記事を読んでいなかったのだけれども、なかなかに興味深いというか、身につまされる内容だったのでTBしてみる。
記事によると、nasubiさんは2002年の暮れからロードバイクの世界に足を踏み入れ、すでに自転車雑誌には飽きてしまったらしい。もはやネットの情報で十分なのだそうだ。いやいくら飽きたとはいっても、それはちょっと早すぎる気もするなぁ……と、しばし腕組みしてはみたものの、これも時代の流れなのだろう。
もしかするとものすごく飲み込みの早い人なのかも知れないし、もしくは単に飽きっぽい性格なのかも知れないんだけれど(失礼)、理由はどうあれ、nasubiさんに対して自転車総合誌がその程度のモチベーションしか与えられなかったというのは事実だ。
nasubiさんのいうところの三大誌に含まれるAとかいう出版社のBとかいう媒体にいた立場から、べつに擁護するつもりはないんだけれども、ちょっと事情を説明させてもらいたい。そもそも総合誌というのは飽きられるものなのだ。それが宿命でもあると言ってもいい。なぜなら、総合誌は一人の読者のためのものではない。まだ自転車すら手に入れていない初心者もいれば、ほんの1%程度の必要な情報のために読むようなベテラン読者もいる。しかもロードもマウンテンもツーリングもBMXもフォローしないといけない。限られたページ数をそれら各ジャンルに割り振り、なおかつ雑誌を読むことで知識を増やし進歩していく読者に常に歩調を合わせ、すべての読者から満足を得るなんていうのは、所詮ムリな話なのだ。
たしかにネットが現れる以前であれば、それでもよかった。何せ情報はそれ以外にないのだから。だからとっくに卒業していてもおかしくないようなレベルの読者であれ、消極的なモチベーションながらも雑誌を買ってくれていた。でも時代は変わった。もはやネットは出版界にとって侮れない存在であることが明白になり、どの出版社も変革を余儀なくされた。
自転車雑誌をもつ出版社であれば、こういう選択肢もあっただろう。つまり、ロードもマウンテンもツーリングもBMXも……という横割りではなく、ロードならロード、マウンテンならマウンテンと、縦割り軸に方向転換するというやり方だ。アウトドアブームに端を発する自転車ブームのお陰で、スポーツとして自転車をとらえる人の全体的なパイも拡がったことだし、それぞれのジャンルを独立させて雑誌を作ったって採算がとれたはずだ。でも、それだと今度は編集者の自転車に対する思い入れや知識量が求められてくる。しかもそういう専門領域に特化した編集者を揃え、さらにコントロール(マネジメント)するのも大変なことである。ボクみたいなのが編集部にゴロゴロいる状況を考えれば、その大変さは容易に察しがつく。でも、ボクらはそう変わるべきだと主張した。今思えば「青かった」としか言いようがないんだけれど。
結局、Aのようなクラスマガジンといわれる雑誌で生業を立てる出版社は、ムックの乱発という道を選んだ。それがいいか悪いかは別問題としても、出版社として生き残る道を必死に模索した結果なのだろうとボクは解釈する(ちょっと持ち上げすぎたか…)。

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かく言うボクはどうなのかというと、べつに威張れたものではない。何せ、はじめてネットに接続したのは遥か昔。編集部でこっそりと電話線を外し、68KのPowerBookの内蔵14.4kbpsモデムに繋げ、「ピーーーヒャーーラララ」というアナロジカルな接続音を確認しては感動していた次第だ。そんなお粗末な状況が世の中の標準だったからこそ、ボクは安易にネットの将来性なんて信じるわけにはいかなかった。
これでもボクは本好きなので(あたりまえか)、もちろん未来学者アルビン・トフラーの著書『第三の波』だって読んでいた。人類が農耕社会、産業社会を経て、そして今まさに新しい文明である情報化社会に到達しつつあることは認識していた。トフラーは『第三の波』のなかで、かなり具体的な未来図を示している。
「第三の波の文明は、少数のマス・メディアによって文化を支配するのをやめ、相互作用を持った非マス化(脱画一化)メディアに依存することになりそうである。それは、きわめて多様で、しばしば非常に個人的なイメージを社会の精神の流れに注ぎ入れたり、汲み取ったりするに違いない」
まさしく2005年のボクの目の前にある状況そのものなのだけれど、当時のボクはトフラーの提唱する未来と現実とを結びつけられずにいた。むしろ「だからといって紙がなくなるということではない。今後も紙は残り続けるだろう。紙は携帯性に優れ、気軽に文字を書き込むこともできる。そして何よりも、破り捨てることができるのだ」という同氏の言葉の方に説得力を感じてしまった一人だ。
「デジタル時代のニュージャーナリズム」と銘打った雑誌『WIRED』も創刊号から欠かさずに読んでいた。サンフランシスコの小さな出版社から発行され、デジタル時代の到来とともに全世界に広まっていったという歴史的な雑誌である。先のトフラーが描いた未来図に対して、その状況証拠をかき集めるといった趣旨に基づき(たぶん)、「今まさに、我々の環境、政府、家庭、教育、仕事、それらの関係性が劇的に変わろうとしている」なんてことを盛んにアピールした。そして事あるごとに、「今だ! 乗り遅れるな!」とさんざん不安感を煽ってくれた。ボクはその雑誌を前にして、「でもそういうお前は相変わらずの紙媒体じゃん」と切って捨てた。でも、否定しつつも読み続けた。ボクは信じようとする前に、信じないで済むためのロジックを探していたのだけれど、一方では彼らが掲げる未来図についても気になって仕方がなかったのだ。
ボクらライターや編集者は、本来的には情報を伝えるのが仕事なわけだから、べつに何が何でも紙に固執する必要はない。でも、何となくネットの将来よりも紙の生き残る道を模索したいという気持ちの方が強い。言葉は悪いが「腐れ縁」みたいなものだ。だからボクは紙媒体の仕事をベースに据え、あくまでも実験的な試みとして今年の年初からブログをはじめてみた。じつに『第三の波』から20年、『WIRED』から10年、ずいぶんと時間がかかった。そして自身もブロガーとなった今になって、ようやくネットの可能性、将来性に対して信じるに足るだけの確証を得られた。しかも遅れて入ってきた分、自分がやるべきであろう残された領域が目について仕方がないという状況なのだ。
ボクが他の仕事を置いたままにして取り組んでいるビギナー向けの新サイトの話は、今までにも何度かお知らせしてきた。果たしてそれがnasubiさんたちのような紙媒体を卒業した人たちをも満足させられるものになるかどうかはわからないけれども、今までに誰も試みたことがない画期的なシステムを考案中である。オープンまで、もうしばらくお待ちを。
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2005.05.30 23:35 | about kuro | trackback(0) | comment(4) |
ボクのキャリアは、アルファビル・アンブロージォ(ALPHAVILLE-AMBROSIO)という自転車のクラブチーム時代にスタートしたと思っている。自転車雑誌、書籍の編集者を経て、現在は何でもござれの編集者(もちろん自転車も含む)をしているが、やはりアルファビル時代を抜きにして今のボクはありえない。
ちなみに編集者として今までに手がけたジャンルは、雑誌やムックでは自転車全般(とくにロード、マウンテン)、クルマ(主にドイツ車)、美容、フード、写真(カメラ)、フィッシングなど。書籍では、と学会などの超オタク系サブカル本から、小説、紀行、実用、歴史、歌集・詩集、自己啓発、MLM(ネットワークビジネス)、果てはコミック(ネコマンガって、じつはコミックなのね)や写真集(エロではなくてね)まで。
結構いろいろとやってはきたけれど、最も情熱を注いで取り組んでみたいのは、やっぱり自転車雑誌だったりする。

以下、箇条書きにて。
・「B型の天秤座」というだけで、ある女性に「最低ー」と返されたことがある。そう、ボクはその最低ーかもしれないB型天秤座だ。
・ずいぶんと歳の離れたワイフに「あなたは褒めて育てるタイプなのよ」とよくいわれる。そうかもしれないと思ってしまう自分が情けない。
・「ロードレーサーに乗るのが趣味なんて、すてきー!」と最近になって知り合った人たちによくいわれるけど、ボクにとって自転車はあくまでも趣味ではない。人生だ。
・知り合いは結構たくさんいるけど友達は少ない方かもしれないので、メールは info@rbf.jp までお気軽にカモン!

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2005.01.12 05:43 | about kuro | trackback(-) | comment(-) |
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