corsappoi blog

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日本においては相も変わらずマイナースポーツでしかない自転車ロードレースのファンの中の、そのまたさらにごく一部の酔狂なマニア以外に方々にとってはどうでもいいことなのだろうけど、一応はじめに「コルサっぽい」ということのコンセプトでも。
まず、コルサとはイタリア語のCORSAであり、その意味は競走だ。ボクらがコルサと呼んでいるのは、そこら辺の子供が「よーい、ドン」でかけっこするレベルのものではなく、あくまでも高次元な、自転車レースでいうところのヨーロッパのエリートアマ以上のカテゴリーを指す。
コルサを定義したところで、次はコルサっぽいだ。コルサっぽいはコルサと同義ではない。いくらコルサの世界で使われているからといっても、それを妄信的に享受すべきではない。たとえばの話、アームストロングは現在のプロロード界において間違いなくコルサな存在ではあるけれど、彼の履くナイキ製の丈がやけに間延びした観の否めないソックスはコルサっぽいとはいえない。あれはくるぶしを守ることの重要性をアピールすることで企業のイメージアップを狙うナイキ社の戦略か、もしくはアームストロングの個人的な趣味にナイキ社が応えたか、そのどちらかに違いない。横道に逸れるが、なぜアームストロングのソックスはどんなに激しいペダリングにもその形を崩すことなく、ピンとしたフォルムを維持し続けるのか。まさかソックタッチでも使っているとか? などと邪推させられるのだが、実際に彼がコギャルよろしく丁寧かつ神経質にぬりぬりする姿は想像したくもないだろうから、ここらへんでやめておくことにする。
話を戻すが、つまりコルサは必ずしもかっこよくはないが、コルサっぽいは常にかっこいい。本物のコルサは一切の選択肢を与えられていないため、スポンサーの意向でとてつもなくダサいものをあてがわれることもあるが、コルサっぽいの場合は、各人の自由意志が大いに活かされるため、当然のことながらかっこいいというわけだ。

そもそもコルサっぽいという言葉は、今や伝説ともなっている超コルサっぽいクラブチーム・アルファビルにおいて、一時期蔓延していた価値観だった。
アルファビルでは、同じカラーリングの自転車を揃え、アッセンブルするパーツも統一し(一部例外はあったが)、ジャージからレーサーキャップ、シューズやペダルに至るまで、すべてをヨーロッパのプロチーム的な次元で統一させるというクラブチームの域を遥かに超えた徹底ぶりだった。うるさいヤツに至っては、レーサーパンツの丈は膝上何センチであるべきだとか、ワイヤーのインナーキャップをどう潰すべきかだとか、アッセンブルされたパーツをどう加工すべきかだとか、ブレーキシューのクリアランスにまでコルサな理論を持ち出す始末(ボクのことかも)。ただ、そこまでこだわる理由が「少しでも早く走りたい」というような純粋なものではなく、ただ単に「その方がコルサっぽい」というだけのことでしかないのだ。これを変態といわずして何といえばいいのか。
こうやって書くと、ずいぶんと昔の恥ずかしい思い出話のように感じられるだろうが、じつは今もってなお、そういう間違ったコンセプトをしつこく持ち続け、くだらんテーマで夜通し議論してしまうアルファビルの残党(落ち武者みたいなものか?)がいる。驚くべきことに、これは事実である。
ちなみに、現在イタリアのG.S. FASSA BORTOLOでマッサーをしている中野善文も、そういう変態チームに入りたいばかりに、ボクの高校の後輩という立場を利用して潜り込んできたような輩だ。今では「yottan」などと呼ばれ、爽やかな好青年ぽい雰囲気を演出してはいる彼だが、決して騙されてはいけない。こうして他人の変態っぷりを平然と他人事のように指摘するボクではあるけれど、自転車雑誌の編集者という立場上、表向きはノーマルな視点も持ち合わせたフリをしつつ、じつは結構な変態だったりするのかもしれない。


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「これは間違いなくコルサっぽいよ、ランス」と、一応アームストロングにフォローしとく。なんじゃこれは? と気になって仕方がないという方は、ぜひこちら
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2005.01.11 01:35 | about corsappoi | trackback(-) | comment(-) |
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