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※二つ前のエントリー「TOJに行ったリポート(前半)」からお読みください

ギュウギュウ詰めのバスに揺られて、やっと品川駅に到着した。ワイフに電話をしたのだけれど、息子は水族館に大喜びという状況で、しばらくは出られそうもないとのこと。仕方なくボクは一人、ウィング高輪の1階にあるコーヒーショップで待つことにした。ラテを飲みながら窓の外をボーッと眺めていると、コニカミノルタのシャツを着たコルサな一行が目の前を通りすぎる。それを見てハッと気づいた。すぐ近くに選手の泊まるホテルがあったのだ。と同時に、東京ステージで絶対に会いたかった誰かにまだ会っていないという事実を思い出した。シマノ・メモリーコープ阿部ちゃんだ。すぐに残りのラテを飲み干して席を立った。
小雨の振るなか、品川駅の高輪口から真っ直ぐに上っていく坂を急ぐ。そこでちょっとした出来事があった。向こうからバルロワールドの一行が下ってきたのだ。全部で7、8人いたのだけれど、それぞれがボクとすれ違うたびに、まずは手首の黄色い輪っかをチェック。そこで自転車関係者であることを確認し、次に胸のワッペンを見てギョッとする。最後に「誰だ、こいつ」という目でボクの顔を見るのだ。見事なまでに、目の動きが一致している。さすがはプロ(?)。
彼ら全員とすれ違ってから、背後で騒ぐ声が聞こえてきた。彼らにとってはかなりのサプライズだったのか、おそらく「何でファッサのヤツがこんなところに」という疑問をぶつけ合っている様子だ。しばらくして、好奇心を抑えきれなかったらしいバルロの選手がこちらに走ってくる気配を背中に感じた。さて、何と答えてやるかな。「チャーオ、じつはボクがファッサのナッカーノである」っていうのもアリだな。もしくは「いや、TOJが見たくて日本に来たんだよ。やっぱジロどころじゃないでしょ?」というのも悪くない。とにかく、レース会場ではノーリアクションだったこのポロシャツが、こんな高輪の石榴坂(ざくろざか)なんて地味な場所で、しかも本場ヨーロッパのコルサな連中に受けるとは、なんとも楽しい。ワクワクするぜ……。
やっぱり来た。ドキドキ。肩を叩かれて振り向いたボクに、彼はあろうことかいきなりイタリア語でまくし立てた。ダメじゃん……。イギリスのチームだから英語で来るに違いないと思い込んでいたボクのドリーム・プランは、呆気なく崩壊した。「いや申し訳ない、これはファッサのマッサーのナッカーノからもらっただけで」としどろもどろに伝えると、彼はうんうんと頷きながら、「なんだつまんねぇな」という顔をして戻っていった。しょぼーん。

ほどなくしてホテルに着く。選手がいるであろう場所まで迷うことなく到達するスキルは衰えていなかった。嗅覚なのか? だとしたら、それはマッサージオイルなのか、それとも自転車のチェーンオイルなのか。よくわからん。ともかくロビーの一角に陣取る大会事務局まで行き、係の人にボクの名前を告げて、電話で呼び出してもらう。
「あ、阿部ちゃん? 元気? 今ロビーなんだ」
「ええーっ! お久しぶりです。今すぐ降ります」
ロビーの椅子に座って、ボクは阿部ちゃんを待つことにした。
ここで、「阿部ちゃん阿部ちゃんて、誰やねん?」という方のために、ちょっと解説しておくことにする。今ではベテランとして陰の黒子に徹している観もあるけれど、それはそれはすごい選手なのだ。1996年にシマノからパナリアに移りプロに転向。97年には所属するパナリアがマペイGBと合併したことで、マペイGBのチーム員となる。その年は全日本選手権で優勝、ポーランド一周でステージ優勝、ジャパンカップではチームメイトのアンドレア・タフィのアシストを受けながら優勝という快挙を成し遂げた。2000年にはシドニー五輪に出場し、翌年はコルパックで活躍した。まさしく実力でヨーロッパを渡り歩いてきた男といってもいいだろう。
5分ほどで阿部ちゃんは現れた。シマノ・メモリーコープのブルーのボタンダウンシャツ、黒いズボン、アフターレース用のシマノ製の黒いシューズというコルサないでたち。体操ジャージにサンダルをペタペタと響かせながら「チィーーッスゥ!」ではないところが阿部ちゃんらしい(今どきそんなヤツの方が珍しいか)。本当に久しぶりだったから何だかちょっと恥ずかしかったけれど、まずはガシッと握手。その瞬間、最後に彼と会ったときのことを鮮明に思い出した。
ちょうど10年前の今頃のことだ。当時シマノの海外組として、阿部ちゃんはヨーロッパを拠点に活動していた。主要なレースがあるたびに一時帰国して、終わり次第またヨーロッパへ戻るというハードスケジュールをこなしていた。その年の4月に行われたアジア選手権で優勝。5月の国際ロード(現TOJ)では凱旋帰国を果たしたついでとばかりに、修善寺ステージで当時のスイスNo.1、2の実力をもつカメンツィン、グィドッティらを大きく引き離して優勝、その桁外れな実力を見せつけてくれた。
ボクは次号のカバーをぜひ阿部ちゃんに飾ってもらいたいと思い、過密スケジュールを調整してもらった。どうにかして都合をつけたという撮影日は、ふたたびヨーロッパへと旅立つ当日のことだった。撮影日当日もほとんど時間がなかったので、彼が泊まる成田のホテルの敷地内でパパッと済ませたのだけれど、なんとか無事に目的を果たせた。ほんの短い時間、彼は自分がヨーロッパで目指すものについて語ってくれた。そして最後に、ボクらは握手をして別れた。それからの彼の活躍は先に書いたとおりだ。
挨拶を済ませたボクらは、ラウンジに移って何か飲みながら話すことにした。しかし10年というのは長い。生まれたての赤ん坊が小学校五年生になってしまうほどの時間である。簡単には語り尽くせないほどの出来事がお互いにあった。けれど、彼のロードレースに対するストイックな思いが変わっていないことは確認できた。控えめで、内に秘める熱い思いを伝えるのが苦手な彼だけれど、「何かしたいんだ」という気持ちはとても強い。それがわかっただけでも十分だった。ボクは彼に一つの提案をし、彼も「喜んで」と快諾してくれた。その提案とは、いずれそのうち。
そろそろ閉会のレセプションがはじまるという時間になって、ようやく妻子が到着した。ボクはふたたび阿部ちゃんと握手をして別れた。阿部ちゃんが去ったあと、しばらく家族三人でゆったりとお茶を飲みながら、息子から水族館のみやげ話を聞いていた。

今、ボクの仕事場のデスクには、件の阿部ちゃんがカバーを飾ったときの号が置いてある。5月の新緑をバックに、目の覚めるようなブルーを基調としたシマノのジャージがよく映える。視線の先に、何かとてつもなく大きいものを予感させるような、アグレッシブでスピード感溢れるいい写真だ。
ふたたび、TOJで再会した三人のベテラン選手を思い出す。橋川選手、三船選手、そして阿部選手。この10年は、単に彼らに歳をとらせ、脚を衰えさせるための時間ではなかった。それぞれ目は輝いていたし、とてもいい顔をしていた。その豊富な経験を武器に、もっともっとレース界に波乱を起こしてほしいな……と、そんな期待を抱かずにはいられないボクなのだ。
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2005.05.25 17:48 | corsappoi | trackback(0) | comment(2) |

お久しぶりです!
TOJのレポート楽しく拝見しました。他のどんなレポートよりも面白かったです!
次回は連れて行ってください(笑)

当日は鬼の霍乱ならぬ高熱を出してしまいふせっておりました・・・・(涙)

2005.05.26 17:21 URL | えてぽん #8BfozD0I [ edit ]

>えてぽんさん
こちらこそ、ご無沙汰してました。
なるほど、観戦ツアーですね。
近ツリあたりで「kuro氏と行くTOJコルサっぽいツアー」とか組んでもらいますか。
なんか、本来的ではないような所ばかり連れて行かれたりして。
もしくは帰ってきたと思ったら変な人格が乗り移ってたとか。まさに「感染ツアー」ですね。いかん……山本のオッサンのせいだな。

2005.05.26 18:07 URL | kuro #- [ edit ]












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